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2009年 08月 25日
<鹿児島>
私達も鹿児島基地へ、沖縄方面の機動部隊の索敵のため、進出した。鹿児島市の南のはずれに位置し、離水、着水は鹿児島湾で、いつも静かである。宿舎は鹿児島航空隊にお世話になる。航空隊には零戦がいて、我々が桟橋や飛行艇の上で作業していると、頭上をかすめて飛んでいく。桟橋で見ていると、離着陸がよくわかる。ある日着陸する零戦を見ていたら、スピードが落ちると片脚が引っ込む。何回やり直しても片脚が引っ込んでしまう。故障である。とうとう全部翼内に脚を入れて胴体着陸してしまった。私達は前の方で着陸を見ていたので、故障の様子がよくわかった。 ここの冬も暖かいけれど、大雪が降った。故郷でも大雪とのことだった。鹿児島は5センチだったが大雪だそうだ。翼の上も真っ白だ。でも暖かい地方なのですぐ溶けてしまった。夜間索敵から朝帰ってくると、湾内はモヤのため、しばし着水できないことがあった。外気が寒いため、海面の水蒸気が上がるのか? 私達般若隊は夕方になると隊門より食器箱を担ぎ、ヤカンをぶらさげて松林、公園を通り、桟橋へ行く。普通ならピクニックにでも行く気分だが、命がけの夜間索敵に出動するのだ。その姿を民間人はどう見ただろうか? また無事索敵より帰り外出する時は、一升瓶をぶらさげ、市電に乗り、鹿児島市の料理屋へ乗り込む。料理屋にはとても親切な娘さんがいたが、残念なことに顔に薄いアザがあった。それ以外は申し分のない八頭身の美人だ。何回も行くうちにすっかり仲良くなり、明日の命もわからぬ我々と一緒に軍歌を歌い、夜の更けるのも忘れて飲み明かし、士気大いに揚がる。 ここでいやなことがあった。私とH君と二人で外出した時、学徒出の予備将校(海軍では予備学生と呼んでいた)が5~6人泥酔して、私達が上官に対する敬礼をしているにもかかわらず、敬礼が悪いとかしなかったとかで、何回も何回も殴打した。上官なので残念ながら歯を食いしばりがんばった。泥酔将校の一人は軍刀を抜き、たたき殺すぞ・・と叫び迫る。こんなことで殺されては大変と思っていたら、あまり酔っていない将校が止めに入ったので助かった。全部が全部悪い将校ばかりではないが、中に悪いのがいるので困る。H君と後でお互いに顔を見て思わず笑い出した。二人の顔は殴られたため風船玉のように膨れ、脹れて自分の顔でないみたいだったからだ。指宿基地でもこんなことがあった。殴られ、ドブに落とされ、ひどい目に会った。そんな人は早く敵の弾に当たるか撃墜されて戦死するだろうと思った。そんな殴る手があったら敵に向けたらバカ野郎!!暗がりで思わず大声でどなった。帝国軍人たる者が泥酔し、軍人の魂たる軍刀をむやみに抜くものではない!!恥だ。バカ野郎の上に大がつく。 また、事故だが、鹿児島基地を飛び立った双発銀河らしき飛行機が、片方のエンジンより火を噴き、正規の着陸コースまで行かず緊急着陸し、滑走路より飛び出し、防波堤を突っ切り、海へ落ちてしまった。我々の頭上を煙の尾を引きながら、エンジンの音も悲しげに通り過ぎた姿が、今でも忘れられない。 南方海面の敵機動部隊の攻撃より帰投する飛竜爆撃隊が、我々の頭上スレスレに。無事帰投を喜んでいるように見えた。
by darklymama
| 2009-08-25 08:24
| 回顧録
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