<大村でのいろいろ>
ここ大村では戦闘機搭乗員の訓練をやっていた。使用機は96式艦上戦闘機である。ある日、ガチャという音で空を見上げると、2機もつれながら墜落するのを見た。97式艦上攻撃機が、射撃標的用の吹き流しを曳航し、戦闘機が一番、二番、三番機と突っ込み、吹き流しを射撃するという訓練をしていたのであるが、二番機がどう間違えたのか一番機と一緒に突っ込んで、空中衝突をしてしまったのだった。それぞれの機の弾丸には色分けがしてあって、吹き流しに命中した弾の色で、誰が何発命中したかわかるのである。乗員は即死。1機は機もろとも海中に突入、1機は衝突の衝撃で搭乗員は投げ出され、(パラシュートが開き)死んだまま海中に落下した。人間の命ははかないもの、ちょっとの油断で死んでしまうのであるから情けない。しかしそれがその人の運命と言うものか?
我々は一人でもぼやぼやしていると全員の責任になる。そして罰を食うのである。飛行場一周(ここ大村航空隊は海軍でも一番広い飛行場とされている)や、腕立て伏せ。飛行機の胴体くぐり・・これまた大変辛い罰である。練習機が2列に何十機と並んでいて、胴体の下を二組に分かれてくぐるのである。遅かった組はもう一度である。くぐっては次の飛行機に駆け足、そしてまたくぐり、頭をぶつけるやらなかなか大変である。
また練習生を殴る罰があって、一番が二番、三番と順々に殴り、一番終わりの練習生の隣りへ並ぶ。二番が三番、四番と殴り、また最後の練習生の隣りへ並ぶ。順々に、100人の練習生がいる場合、往復殴るから200回殴られるわけだ。またそばで教官が見ていて、殴り方の足りない者、手加減したりすると、「見本を示す、見ておれ!!」ボカン、バシッ!!とやられる。だから練習生も必死で殴る。寝食を共にしている練習生どうしだ。殴るのは気持ちが良くない。だからとて手加減はできぬ。力いっぱいぶん殴る。そうでないと教官に張り倒されるし、たまったものではない。
航空隊も戦局が切迫してきたので、隊員も多くなってきた。そこで我々練習生は隊外の仮兵舎に移動することになった。いやなハンモックから解放されたが、航空隊までの距離が3~4キロもある。これには参った。仮兵舎は町外れではあったが、兵舎(バラック)のまわりは板で囲まれていた。隊外なので何となく気分は良かったが、航空隊への往復は、隊列を組んで駆け足であった。朝、起床ラッパを合図に飛び起きて寝台の毛布を畳み、洗面、食事(航空隊より樽でトラックで運ばれる)。終わった者から隊列組んで駆け足で航空隊へ。そして飛行準備だ。まごまごしていると一番最後になり、飛行場へ行っても作業が遅れ、どやされる。