<艦船見学>5月7日頃
飛行機パイロットは軍艦のスベテを知らなくてはならぬ。艦船はどういう具合に動くか、型はどうか、スピードはどんなか、構造はどんなになっているか等船についてよく知っておく必要がある。艦船の爆撃や雷撃の場合非常に役に立つからである。私達練習生は、500トンくらいの曳船に乗り、瀬戸内海の柱島泊地に向かった。小さな船に練習生はすし詰めになって座ることもできず、立ったまま行く。甲板の上も練習生でいっぱいだ。行きと帰りは交替で船の中、あるいは甲板といった具合で無事艦に着いた。さあ乗艦である。さて船に上がろうと思い、上を見る。とても大きい。高い。何だろう。聞いてみたら私達の乗る艦は戦艦扶桑だ。34700トンの巨体・・全然揺れていない。さすがだ。まわりを見渡す。いるいる・・戦艦陸奥(むつ)、長門(ながと)、巡洋艦最上(もがみ・・昭和18年4~5月、最上は航空巡洋艦に改造のため、入港していた)、駆逐艦2隻、10000トンくらいの輸送船、航空母艦鳳翔(ほうしょう)・・ウム・・すばらしい艦隊だ。
練習生は決められた艦に乗船する。私達は艦内を見学する。階段は場所を取らないよう急斜になっている。練習生の一人がまごまごして足を踏み外し、下まで落ちてしまった。艦内では白ペンキの塗ってあるところはトンカチでコンコンとはたき落としていた。これは敵弾のため火災など発生した場合、ペンキはよく燃え、火の伝わりがよいから、落としているのだそうだ。大砲の砲塔内は40~50センチの厚さの鉄壁だった。砲弾は下の火薬庫よりエレベーターで上がってくる仕掛けだった。砲身の付け根はピカピカ光って、36センチの弾は炸(さく)薬の爆発により発射されるのである。甲板では士官が木でできた輪のようなものでゴルフのようにして遊んでいたが、兵隊達は機銃や対空戦闘の訓練を一生懸命やっていて、下士官に気合を入れられていた。
主砲が動くと甲板に立っていてもぐらぐら揺れるようであった。見るも聞くもただただ驚きばかり。本当によい見学で、後で役に立った。
我々の見学の少し後(昭和18年6月8日)、戦艦陸奥は大爆発をして海底に沈んでしまった。原因は今なおわからず、一部ではスパイの仕業か、あまりの猛訓練に耐えかねた兵隊が火薬庫に火をつけたか、自然に温度が上昇して発火したか、謎に包まれてしまった。乗組員のほとんどが艦と共に沈み、私達ももう少し遅く見学していたならば、この事故に遭遇したかも知れぬ。この事故で土浦予科練甲種11期実習生134名が艦と運命を共にした。