「浮かんだ男」・・シャーロット・マクラウドは2005年に亡くなったので、もう新作は読めないと思っていたのだが、ぽつりぽつりと出ている。この作品も書かれたのは1998年のようで。セーラ・ケリングシリーズで一番面白いのは二作目の「下宿人が死んでいく」。一番先に読んだのがこれで、それでマクラウドの作品を読むようになった。「浮かんだ男」は正直言ってあまりおもしろくはない。
それで口直しに「下宿人が死んでいく」を読み返した。もう何度読んだだろう。下宿をやるためのあれこれ。どうやったら少ない予算でたっぷりの食事を出せるのか。そういうやりくりが読んでいて楽しい。マックスと結婚してからは生活の心配もなくなり、そういうやりくりを読む楽しさは薄れていく。
「カシノ殺人事件」・・カジノじゃなく、カシノというのが時代を感じさせる。読んでいてもここは変じゃないのかと思うことばかり。一番アレなのは犯人の銃に空砲を詰めておくこと。空砲ってことは撃っても死なないってことで。犯人に自白させて、それを録音したのなら、それでいいと思うが。録音させてもらったよ、実は弾は空砲と取り替えてあるから撃っても無駄だよ、そう言って逮捕させればすむことなのに。犯人に撃たせて自分は死んだふり。他の人も撃とうとした犯人は撃たれて死亡。わざと撃たれるように仕向けるなんて絶対おかしいってば。犯人の自白引き出すお膳立て整えておきながら、犯人の代わりに自分がべらべらしゃべるというのもアレだ。出しゃばりと言うか自分の頭の良さをひけらかさずにはいられないんだろうなあ。
「フレンチ警視と最初の事件」・・ダルシーとフランクの腐れ縁的関係が延々と書かれる。何でこんなどうしようもない男と手を切らず、自分まで犯罪者になるのか。一度はだまされた、復讐してやるとなるけど、男がピンチになるとあの人には私しかいない!となるのも、私には理解できませんな。やり方は不明だけど、聞こえた銃声がニセモノというのは予想がつく。遠からず死ぬであろう相手を急いで殺す必要あったのかね。
「フレンチ警部と紫色の鎌」・・これもそうだな。そんなうまい話転がってるわけないのに、あの人が儲けているのなら私にだってできないはずはないと考える若い女性。深みにはまって身動き取れなくなるさまが延々と書かれる。いかにも愚かな感じのヒロインが機転を利かせたりスーパーウーマンみたいになって事件を解決するのは不自然。