<隠岐>続き
敵機の空襲も日増しに激しくなってきた。飛行艇も敵機の目標になるので、洋上退避をやることになった。洋上退避とは、警戒警報が発令されたら直ちに水上滑走で瀬戸内海の島陰に隠れるのである。敵は朝の暗い時間に日本に向け飛び立ってくるから、我々も早朝各々島陰に隠れるのである。基地へ空襲に来ても日本機がいないわけである。洋上退避水上滑走中敵機に発見され、W兵曹(新井市・・現妙高市・・出身)は頭部に銃弾を受け、飛行機は炎上沈没。W兵曹は重傷にもかかわらず岸まで2000メートルを泳ぎ、戦死してしまった。私とは大村の練習機、宮崎の陸攻機、そして指宿の対潜哨戒も一緒だったのに残念なことだった。
また、無事何事もなく島から引き上げる時、岸辺に大勢の小学校生徒が、遠足のようにして来て見ていた。日本の大きな飛行機が飛び立つのを自分の目で見ようと、遠くからやってきたのである。近くの者、山を越してきた者、いろいろいるように見受けられた。我々はそれに応えるべく近くで飛び上がってみせ、また頭上を何回となく通過飛行した。